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翻訳:安積 美記、 竹内 幹、大谷 誠
Translation:  Miki Asaka, Tadashi Takeuchi, Makoto Ootani

Morten

Diesel

Dahl

モーテン・ダール 通称:ディーゼル 1959年6月19日生まれ

Photo: Kenneth Baluba Sporsheim

モーテン・ダールはドラマー、作曲者、作詞者として長いキャリアを持っています。一番よく知られているのは、TNTの立ち上げメンバーとしてではないでしょうか。

モーテンのニックネームは、メルダル(ノルウェーのトロンデラーグにある街)のコンサートでつけられたものです。彼がいつものようにドラムを叩いていたところ、主催者の一人がそれを見て「まるでディーゼル機関車みたいなドラムだね!」と言ったことからでした。その通り、大勢の人には彼の名は「ディーゼル」なのです。

ディーゼルは70年代トロンハイムで育ち、すぐにラウドロックとバイクに興味を持つようになりました。15歳の時、彼はドラムの機材を集めはじめ、手で叩けるものなら何でも使って、ドラムを叩くようになりました。15歳年上の彼の兄Oleが、ディーゼルに初めての一揃いのドラムセットを贈ってくれたということです。

Photo: Kenneth Baluba Sporsheim

ディーゼルは独学でドラムを学びました。学校やマーチングバンドで演奏することもなく、楽譜も見ることはありませんでした。

1973年、Burnというバンドでダグ・インゲブリクトセンと一緒に演奏し始めます。これは、そこから続く一生ものの友情と、プロフェッショナルとしての二人の協力関係の始まりでした。

1975年、バンドの名前をBurn IIに変更します。その時のギタリストはHans Aafløy、ベーシストは(のちにHotlips、現在はStage Dollsのベーシストで知られる)Terje Storliでした。Burn IIは、 1977年4月15日、Nidarøhallen(現・トロンハイム・スペクトラム)での伝説的なバンド、スレイドのライブの前座に出演しています。

1978年には、ディーゼルはEdgeというバンドにいました。その時に「7000 Riffs」というコンピレーションアルバムに2曲参加しています。(※トロンハイムの郵便番号は7000から始まることに由来)

このアルバムは大御所ミュージシャン、オーゲ・アレクサンダーシェンによりプロデュースされたもので、1979年にリリースされています。

この後、少しの活動休止期間がありましたが、それもつかの間のこと…

ディーゼルは1980年から1981年にかけて、今度はHotlipsというバンドでシーンに戻ってきます。都心から離れた中小規模の会場でハードロックをプレイする初めてのバンドで、とてもエキサイティングで先進的でした。Hotlipsは1981年12月9日、Frimuerlosjen(フリーメーソン・ロッジ)でノルウェーのRock`n`Roll Championshipを受賞しました。そして1982年3月23日、トロンハイムのNidarøhallenでのイアン・ギランのライブの前座としてバンドが出演しましたが、またもその場でドラムの座にいたのは、ほかならぬディーゼルなのでした。

(Tor-Erik Ledang- Ledang1962による2012年4月22日の記事より)

ディーゼルの生涯を通じた友人であり、非常に優れたミュージシャンでもあるダグ・インゲブリクトセンと、1981年にまた一緒にバンドを組みました。ディーゼルはバンドを活かすための非常に重要で大きな部分を担っていました。そしてこのバンドは、ノルウェーの音楽史上で重要な存在となるバンドでした。シュタイナー・エイクムがその時ベーシストとして加入し、皆様ご存知の通り、ロニー・ル・テクロがその時から今日までギタリストを務めています。そしてダグ、ディーゼル、シュタイナー、ロニーは私たちがよく知り、また愛してやまないあのバンド、TNTを結成したのです。

TNTの歴史はディーゼル個人の歴史とも大きく重なっています。非常にたくさんのツアーを行い、レコードを出し、スタジオワークやインタビュー、写真撮影、ミュージックビデオや新聞記事…そして各種の受賞なども!

TNTはアルバム「Tell No Tales」で、1987年にロック分野のスペルマン賞(ノルウェーのグラミー賞)を受賞します。この音楽史上重要な出来事は、NRKでドキュメンタリーが作られ、放送されています。

1988年の初め、ディーゼルはTinDrumというバンドを結成しました。一番有名なアルバムは「Drums Of War」です。アルバムタイトル曲は1988年、数週間にわたってチャート上位に入りました。当時、ノルウェーではヘヴィーなロックは音楽シーンの主流にはなりづらいと考えられていたため、このことは大きな衝撃となりました。1988年5月「Drums Of War」がVG – Lista (ノルウェーの音楽チャート)で1位となりました。チャートに名前が刻まれた瞬間でした。TinDrumはその時すでに1988年の秋のツアーを予定していました。この年の11月2日からツアーが始まり12月15日に終了するまで、18会場でライブを行いました。

Photo: Arne Nordtømme

1989年の10月、TinDrumの2枚目のアルバム「How ‘Bout This」をリリースするにあたり、ディーゼルの親友ダグ・インゲブリクトセンがマイクの前に立つべく戻ってきました。バンドは1990年の夏に大規模なツアーを行いました。「Cool, Calm & Collected」というコンピレーションアルバムも同年リリースされました。ツアーの後、1982年にはアルバム「Whale Meat Again」から「She’ll Be Dancing」という曲がリリースされました。

1992年の秋、ディーゼルは家族や他のプロジェクト、興味のあることに自分の時間を使いたいと発表し、少しの間音楽から離れました。

1995年、ディーゼルは「Diezel」というバンドでシーンに戻り、同年「Willpower」というアルバムをリリースしました。ツアーを実施し「Love Got It’s Hold」「When Sorrow Comes Alive」といったシングルのプロモーションを行いました。残念ながら2枚目のアルバムが出る前にバンド「Diezel」は解散しました。

ディーゼル&フレンズとして1997年の5月にリリースしたアルバム「reCYCLEd」は、彼のそこまでの15年の歩んだ道を物語るものです。アルバムにはTNTの定番曲やTinDrumの有名曲、アルバム「Willpower」からのリミックス曲が2曲収められています。

同じ年の秋、ディーゼル・ダール/ダグ・インゲブリクトセン/ロニー・ル・テクロ/モーテン・スカゲット(モーティー・ブラック)のTNTメンバーで集結し、ノルウェーのトロンハイムでチャリティーコンサートを行っています。

ディーゼルは多くのいろいろなミュージシャンの仕事や、音楽プロジェクトに参加しています。

Egomont Music Club「The Best of Norwegian music」(1998年)

Asgeir Borgemoen 「Turbo Compressor Noz –injection」(2002年)

Ronni Le Tekrø &The Evil Elf Band

「Under The Mistletoe」(2002年)

「Gods of Thunder, A Norwegian Tribute To Kiss」(2005年)

Backstreet Girls 「Shake Your Stimulator」(2007年)

Carina Dahl 「Hurricane Lover」Acoustic Session (2015年)

またテリエ・タイスランドや「ヨルン」ことヨルン・ランデ、カジノ・スティールの作品にも参加しています。

音楽的な影響を受けたものについて、ディーゼルはジョン・コグラン(ステイタス・クォー)やジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)、ミック・ターナー(スウィート)、ブライアン・ダウニー(シン・リジィ)の名前をあげています。名前の挙がった人々や音楽はやはり刺激的で、数十年にわたってディーゼルを自身の音楽作りへ駆り立てるエネルギーとなっているのです。

ディーゼルは2003年にTNTに戻り、自らその創立に大きく貢献したバンドへと復帰しました。ファンは再び彼のディーゼル機関車のようなドラムを聴くことができるのです!

2019年9月16日、ディーゼルとTNTはロックハイムの殿堂入りを果たし、祝いの式典に参加しました。(ロックハイムはポピュラー音楽の国立博物館です)

11月15日、NRK TV(ノルウェー放送協会)による映像が世界中に放映されました。

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